明成皇后

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各話あらすじ

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(以下、韓国KBS公式サイトより抜粋・翻訳)

歴史とは、後に立って過去を振り返る所作である。 また、歴史というものは、特定の人間によってなされる認識のひとつに過ぎず、言うなれば人間ごとに“歴史”が存在しうるのだ。 “明成皇后”は、ある意味、朝鮮近代史においてもっとも象徴的な人物だと言えよう。 俗に言う“閔妃”という呼称は、“明成皇后”を格下げした呼び方で、当時の日本帝国主義が、植民地史観に基づいて付けたものだ。 “明成皇后”に関する多くの否定的な認識は、帝国主義の日本政府が、明成皇后を弑逆して朝鮮を強制的に占領した事実を正当化するために作り出した、歴史の捏造と偽造に起因するものが大部分を占める。「権力に執着した女」、「国家の利益を犠牲にして、親族の利益を図った女」、「闘争心と気まぐれにまみれた女」、これらはすべて、明成皇后を弑逆した当時の日本の名分である。

衰弱した朝鮮王朝、侵略のツメを隠そうともしない欧米列強と日本の野心の前に、朝鮮の独立を引き出した「鉄の女=明成皇后」。彼女の偉大さは、日本の初代総理大臣=伊藤博文が漏らした、「朝鮮を侵略するためには朝鮮の国母を弑逆するほかない」という嘆息に含蓄されている。




この時代、明成皇后と比肩する人物といえば、大院君だ。外戚とそれを支持する政治家たちにより、失墜した王室を再び立て直し、強固な国家再建のため、改革の先鋒にたった大院君。そして再び王室を守るために保守に回った大院君。彼の没落の過程は、朝鮮王朝の最後の姿でもある。




■明成皇后と大院君のドラマ 宿命的なふたりの人物の出会いと葛藤・破局を中心にし、些少な歴史的事件をあえて排除した。事件や人物を羅列するだけの歴史ドラマが陥りがちな、教科書的な意味しか持たないドラマになることを避けるためには、主人公を中心とした強力なストーリー展開が必要だ。明成皇后と大院君の性格を対比がストーリーの根幹をなす。




■正史と俗説の適切な混合 正史を追うことを基本とするが、俗説を適切につないで、明成皇后と大院君の人間的な面をメインに描く。




■歴史的な問題に対する活用 『明成皇后』はミュージカルにもなったが、この作品が若い世代からも良い反応を得ることに成功したのは、日本統治期を敗亡の歴史ではなく成功の歴史に変えたことにある。明成皇后の生涯を個人的な野心に帰結させるのは日本の帝国主義の植民地史観に根ざすものだ。明成皇后の華麗な外交術、肯定的な意味での権謀術数、時代を見通す現実意識など、精密に描いてゆく。




■事件と人物の立体的な構想 編年体のストーリー展開を排除し、明成皇后と大院君の葛藤と対立を効果的に追加するための立体的な構想を試みた。




■恋愛ドラマの要素を加える 堅苦しく難解になりがちな歴史ドラマの結合を、新式の西洋の文物である一夫一婦制に触れた明成皇后が、高宗を取り巻く女たちに対して感じる嫉妬と、それによる事件なども盛り込まれている

提供元 : SAMHWA PRODUCTION
話数 : 全124話
韓国放送日 : 2002年07月18日
KNTV初放送 : 2008年01月26日

あらすじ

第1話




1864年、急逝した哲宗の跡を継ぎ、朝鮮王朝第26代の王、高宗が即位した。 哲宗に世継ぎがいなかったことによる、政治的取引の産物であったが、これにより権力を握ったのが、王の実父である大院君であった。 大院君は、安東金氏や豊壌趙氏の勢道政治により、王族でありながら不遇の日々を強いられた。 そうした状況を打破するべく敏腕を振るう大院君にとって、直近の課題が2点あった。 第一に大王大妃趙氏による垂簾聴政を終わらせること、第二に高宗の王妃を定めること。 そこで、妻である府大夫人閔氏の一族である、閔ジャヨンに着目する。



第2話

父を早くに亡くし、没落した家門の娘である閔ジャヨンは、外戚の干渉を阻もうとする大院君にとって好ましい王妃候補であった。 ところが大王大妃趙氏も一族の娘を候補と目していた。 大院君は大王大妃に、垂簾聴政を終わらせる代わりに、王妃選びを一任すると持ちかける。 大院君が政治生命をかけて挑む一大事業、景福宮の再建工事は、財政難に悩まされていた。 大院君は安東金氏の座長、金左根を訪ねる。 金左根は大院君を恐れ、大金を寄付すると申し出て、宴を催すのだが…。



第3話

宴の料理に毒を盛られたと、安東金氏を恫喝する大院君一味。 金左根は大院君の意図を察し、大王大妃の垂簾聴政を終わらせることに協力する。 大王大妃は垂簾聴政を降りることを宣言し、後事は大院君と協議して決めるよう言い残して御前を立つ。 こうして大王大妃に代わり実権を握った大院君は、言葉巧みに大王大人の約束を反故にし、閔ジャヨンを王妃に選ぶ。 しかしそんなことは、封書係である宮女李氏を溺愛する高宗には知る由もなかった。



第4話

閔ジャヨンが王妃に決まり、兄の閔升鎬らは歓喜する。 大院君は王妃を迎え入れることを口実に、大王大妃の居を楽善斎に移し、豊壌趙氏の勢力を抑えるとともに、金炳学を抱き込み、安東金氏一門を懐柔しようとする。 そんな大院君も、景福宮の工事の進度が上がらないことには業を煮やしていた。そんなある夜、工事現場が火災に見舞われる。



第5話

政治生命をかけた景福宮が火に包まれたことで、大院君の怒りは頂点に達し、営建都監である実兄の興寅君を叱責する。 この火災を反対勢力の示威と考えた大院君は、王室の秩序を確立することを急ぎ、幾多の手続きを短期間で済ませ、高宗と閔ジャヨンを成婚させる。 しかし高宗はその夜、閔ジャヨンと床を共にせず、李尚宮のもとに走る。



第6話

周囲に説得され西温突を訪れた高宗を、王妃はやさしく李尚宮の部屋に行かせる。 翌朝、大院君の不意の訪問にも、王妃の機転で事なきを得る。 大院君は王と王妃を前に、信用するに足るのはこの3人だけだと諭すが、心中を察することのできない王妃の表情に、嫌悪感を覚える。



第7話

王道政治の回復と万民平等という政治的理想を金炳学に語る大院君。 その矛先は、勢道政治と結託し、守旧勢力の巣窟と化していた書院へと向かう。 大王大妃はこれに正面から反対し、大王大妃の一族である趙寧夏も、金左根の息子である金炳冀と会談するなど、対決姿勢を強める。 一方、宮中では王妃と王が疎遠であるという噂が広まる。 府大夫人は宮中を訪れ李尚宮を叱責し、閔升鎬は王妃を軽んじる大院君に不満を抱く。



第8話

大院君は景福宮の火災の原因究明を口実に、民心の引き締めを図ると共に、火災によりさらに逼迫した財政を補うため、人頭税や通行税といった新たな負担を民に強いる。 異を唱える重臣たちを前に、西欧の脅威を語る大院君のほおには涙が伝う。 一方、高宗に袖にされ、読書で夜を明かす王妃閔氏。その徳の深さに、同副承旨を務める高宗の兄、李載冕ら周囲の信望は増すばかりであった。



第9話

高宗の寵愛を受けた宮女李氏の妊娠が判明。 大院君は王の血筋であれば嫡庶を問わず世子に任命する意向を明らかにする。 西温突にて一人夜を明かす明成皇后の立場は悪くなるばかりだ。一方、開国を迫る西洋列国の圧力が強まる中、大院君の父である南延君の墓が西洋人によって暴かれる事件が起こる。 朝廷の重臣たちを一喝する高宗に、大院君は目を細める。



第10話

宮女李氏が男児を出産。王室では李氏の処遇をめぐり、論争が起こる。 大院君は李氏に高い品階を与えようとするが、大王大妃や朝廷の重臣らはこれに反発する。 また、王妃閔氏を推す府大夫人や閔升鎬は、大院君が王妃を疎んじていることに不満を募らせる。 大院君は景福宮の工事による財政の逼迫を打開しようと、当百銭という新貨幣を発行するが、貨幣価値は混乱。 大王大妃を筆頭とする豊壌趙氏や安東金氏の勢力は、こうした民衆の不満に乗じ、大院君の独裁に歯止めをかけようと画策する。



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登場人物

興寅君の妻 役 /オム・ユシン
興寅君の妻で、高宗の伯母に当たる。

李最應 役 /イ・ヨンフ
興寅君。

大院君の実兄。

王妃 趙氏 役 /キム・ヨンリム
純祖の世継ぎだった、死んだ翼宗の王妃。

高宗を王に立てて摂政を行う。

閔大夫夫人
興宣大院君・李ハウンの妻で、高宗の母。

明成皇后を推薦して宮廷に入れた人物。

感古堂李氏 役 /ソヌ・ウンスク
明成皇后の母。

閔致禄の妻。

永保堂李氏 役 /チョン・ソンギョン
高宗の第1子・完和君を産んだ人物。

高宗より年が上だったが、完和君の死後、精神に異常をきたして失語症にかかる。以降、言葉を話すこともママならず一生をさびしく暮らして死去。

興宣 大院君 役/ユ・ドングン
英祖の直系の曾孫である南延君の4番目の息子。
高宗の父であり、明成皇后の舅。

長男に李載冕、次男に李命福(高宗)、三男に李載先を持ち、ほかに3人の娘がいる。

高宗 役/イ・ジュン(幼年期)、イ・ジヌ(成年期)
朝鮮王朝第26代王(在位1863~1907)。

英祖の玄孫、興宣大院君・李ハウンの2番目の息子。

1863年(哲宗14年)12月、哲宗が世継ぎなしに崩御したため、趙大妃の指導により、12歳で即位。まだ年が幼かったため、趙大妃が摂政をしたが国政の安定を期すためとして大院君に政権を移したため、以降10年に渡り大院君が執政を取ることになる。

明成皇后 役/ムン・グニョン(幼少期)、イ・ミヨン(中期)、チェ・ミョンギル(晩年)
本貫はヨフン、姓は閔、ヨチョン出身。
肅宗継妃・仁顯皇后の父である閔維重の五大孫で、ヨチョン郡守をしていた閔致禄の娘。
8歳のときに孤児になり、本家で貧しく暮らすが大院君の夫人である閔大夫夫人の推薦で王妃候補として宮廷へ。
1882年、壬午軍乱で宮廷から脱出、開化党の尹泰駿の家を経て忠州・長湖院へと逃避行を続ける中、大院君により王妃の国葬が宣布されると同時に尹泰駿を高宗へ秘密裏に送り、自身の健在を知らせるとともに清に支援要請を行う。

清国軍の出動で壬午軍乱が鎮圧されると、大院君が清へ連行されるように要請、閔氏政権の再び樹立する。
1894年、大院君の再登場で甲午改革が始まると、今度はロシアに接近し、日本勢力を追放するよう働きかける。
これに対し日本公使・三浦梧楼が明成皇后弑逆事件(乙未事件)を画策、8月2日、日本浪人を宮中に潜入させ、明成皇后を景福宮内で刺殺。死体を宮闕外に持ち出し焼却する。

その後、彼女は廃位され、庶民の扱いとなるが、10月に復号になり、1897年(光武1年)には「明成」の諡を受ける。その年の11月、国葬により清涼里郊外の洪陵に祭られる。

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