■“実際のキム・チュンサム、そこが知りたい。”
日帝時代、8歳で大邱駅前の物乞い集団の親分になった、度胸満点の男、キム・チュンサム。公害追放国民運動中央本部の総裁として活動中の彼は、“無所有”の哲学を実践し、12坪の団地に住んだ。 映画のような人生を生きてきたキム・チュンサム。彼の実際の人生とは? ドラマ「ワンチョ」の中の主人公と比べながら、乞食王の実際の人生をのぞいてみよう。慶州キム氏の両班の子孫として、平安南道のトクチョンに生まれたチュンサム。独立運動家だった父親は銃に撃たれ死亡、母親は大田で再婚した。
*幼少時代
姉と共に母親のいる大田へ行く途中、チュンサムは日本人猟師に捕まって獲物をおびき出す“撒き餌”となり、姉は死んでしまう。だが、命と引き換えに助けてくれたトルボ(髭)おじさんのお陰でチュンサムは脱出に成功、大邱駅前の橋の下にある穴蔵で、15歳の親分“バルカラク(足の指)”の子分“ミョルチ(鰯)”になる。だが6歳の“コマ(チビ)”が、凶暴な“バルカラク”のリンチで命を落とすと、8歳のチュンサムは、“汽車ごっこ”(線路の上での度胸試し)で“バルカラク”を追い出し、親分となる。 生涯 チュンサムに尽くし親友となったユクソン。チュンサムは彼に支えられ、大田モクチョク橋の穴蔵まで襲撃し、かしらとなる。だが、恋しかった母親と再会し、義理の父親と兄、妹のいる家に引き取られるが、平凡な生活に馴染めず、モクチョク橋に舞い戻る。
*青年時代
視野を広めようと決心した彼は、ソウルのヨムチョン橋の親分だった“キムパ”を子分にする。その後チュンサムは南大門一帯を占領し、キム・ドゥハン(金斗漢)と出会って兄貴分となり、共に日本人の横暴に対抗する。 この時、初恋の人スンジャと出会う。彼女は家族全員を日本人に殺され、物乞いたちの仲間になったが、チュンサムを親身になって看病し、その後娼婦となってチュンサムと別れる。
次第にソウルでの勢力を拡大していったチュンサムは、1945年8.15解放後、孤児たちがあふれると、南大門と大田に“合心院”という孤児院を設立し、孤児と物乞いたちを教育し啓蒙した。 しかし、すぐに勃発した朝鮮戦争に参戦、死線をさまよう。 停戦後、彼は自らまた物乞いとなり、ソウル、大田、釜山、光州に、念願の“合心院”の組織を興す。米国の救護団体から援助を受けていたチュンサムは、1956年、“孤児院協会”会長に推戴される。
その後、“シラソニ(大ヤマネコ)”、東大門商人協会のイ・ジョンジェ、イ・ファリョンなどを相手に勢力争いを繰り広げる。1957年、金斗漢の後押しで“乞食王”になり、1959年には、米国、フィリピンの物乞いの親分、日本の物乞いの親分“カネツル”の訪問で“国際物乞い連合会”の初代会長となる。
この頃、彼はライ病のエジャと愛し合う。彼女の兄のたっての頼みで結婚式を上げたチュンサムは、エジャのあまりの美しさに魂を奪われ、たった3日の新婚生活を送るが、彼女の病気が原因で、彼女のもとを去る。チュンサムとの別離後、エジャは自殺し、生涯チュンサムは彼女を忘れられない。
4.19革命が起きた年の10月。チュンサムはワンシム里に“合心院分所”を設置し、孤児救済に力を注ぐ。“韓国合心自活開拓団”を設立し、初代団長となるが、5.16クーデターで全てが水の泡になる。しかし、1962年2月3日、再度“高麗自活開拓団”を設立し、65年には、チェ・ソクリム氏を会長とする、“大韓自活開拓団”を設立する。また、クズ拾いの生活にも関心を寄せ、“蟻ご会”を創設、1人1つ、貯金通帳を持つ運動を興した。
浮浪者、門付け、ケタ、物乞い、ならず者… などと呼ばれる集団。 彼らは何も持たぬがゆえに自由で、空腹であるがゆえに豊かな人々である。欲望のあふれる今、貧困の哲学は多くの意味を持つ。 「ワンチョ」は、日帝時代から現代に至るまで、映画のような人生を生きた乞食王“キム・チュンサム”の生涯を描いたドラマだ。最も困難だった時代、抑圧される庶民のために尽力した若者たちの愛と友情を描きながら、現代を生きる我々自身を反芻するきっかけを提供する。 乞食王キム・チュンサム!カネで人間を判断し、学閥で人間の質を決める 我々の社会において、無一文の無学だった人物。 だが彼は単なる物乞いではなかった。奉仕と献身で、貧しく平凡な人々の人生をこの上なく尊重したのだ。 「ワンチョ」は、日帝時代、朝鮮戦争、軍事独裁などの困難な時代を生き抜いた様々な人物を通じて、彼らの痛みと歓喜、悔しさと生きがいに照明を当て、現代の精神的貧困に警鐘を鳴らすであろう。
出演 : チャ・インピョ、ソン・ユナほか
提供元 : MBC
話数 : 全28話
韓国放送日 : 1999年04月05日
KNTV初放送 : 2006年08月11日