第5共和国

韓国12.12事態から6.29宣言まで再現ドラマ

韓国12.12事態から6.29宣言まで再現ドラマ

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12.12事態から6.29宣言まで再現…MBC“第5共和国”外圧論難の渦中に!

20数年前の政治的事件を再現し、歴史の流れを変えた秘事に光を当てることで、“第5共和国”は放映前から熱い関心を集めた。
“第5共和国”は、新軍部が政権の掌握をもくろみ、鄭昇和陸軍総長(当時)を連行した1979年12.12事態から、盧泰愚前民正党代表最高委員が大統領直選制を受容する1987年6.29宣言発表での、6年余りの歳月を描く。
その間に発生した主要な政変は、当時の証言と史料などをもとに、リアルに演出される。すでに2005年2月には、ソウル光化門前で戦車と装甲車を動員し、12.12事態のシーンを撮影、4月には光州で5.18当事の状況を撮影する予定だ。5.18は4回に渡って描かれると製作チームは明かす。

しかし、現代史をドラマ化するだけに、多くの主人公が存命中であることや、歴史に関する評価において議論が起こることは必至で、視聴者の反応に注目が集まる。特に外部の圧力やクレームは“第5共和国”の放映開始後にもしばらく解決しがたい難問題として残ることが予想される。実際に、新軍部の人士17人が製作チームにシナリオの是正を要求した。MBC は、早期終了した月火ドラマ“英雄時代”が外圧にさらされただけに、“第 5共和国”で再び騒動が起こることを懸念している。
さらに加害者だけではなく被害者に対する描写も、ドラマが解決すべき課題として残っている。12.12事態、サムチョン教育隊、5.18関連の被害者をドラマ化するには、歴史的な評価作業が早急すぎたとの指摘である。

過去の“共和国”シリーズの演出を担当したコ・ソクマンMBC 製作本部長は、「かつての“共和国”シリーズは、実在人物の外見に重きを置いて視聴者の関心を集めようとしたが、今回の“第5共和国”は正確な史実を伝えるのに焦点を合わせた」、「視聴率を稼ぐための誇張や、実際になかったエピソードを組み込むようなことは決してしない」と話している。

第5共和国>は、 事実(fact)だけを記録するドキュメンタリーでもなく、作家の想像力だけで作り上げる虚構(fiction)でもない。 言うなれば、事実の効果を高めるために作家の想像力を加味した、ファクション(faction=fact+fiction)である。 ファクションが成功するか否かは、詳細な事実の一致ではなく、歴史の脈略をどれだけ正当に描写するかにある。 歴史の永遠なる物差しは、国民の意思であるべきだ。 なぜならば、我々の目指す永遠なる道標は国民主権であるからだ。 では、なぜ第5共和国なのか。 一つの時代を終える出発点に、全斗煥と盧泰愚がいる。 IMF以降、リストラが横行した2001年頃、巷では「全斗煥のようにやるべきだ」との声が、タクシー運転手を中心に広まった。 タクシー運転手とは、民心の尺度である。彼らが“全斗煥の時代が暮らしやすかった”と言っているのだ。これは、理想と現実の乖離を物語っている。 “自由とパン”では、大多数の国民が、自由よりも安全なパンを望んだのだ。だが大多数の国民が独裁を望んだことにはならない。 全斗煥が不正な手段で政権をつかみ大統領になったのは、万人の知る事実だ。したがって彼は死刑宣告を受け、元大統領ながら2年以上収監され、罪の代償を支払った。 だが彼の権力欲の犠牲となった人たちにとって、2年という歳月はあまりにも短かすぎたであろう。全斗煥新軍部は、軍部内の私的組織である「ハナ会」という派閥を中心に権力を握り、彼らだけの幸せを追求し、その過程で反対派に癒えぬ傷を与えた。 したがって朴正熙に倣い、不当な権力に同調し、他人の不幸から目をそむけた者たちのみ幸せを謳歌する時代が、今なお続いているのだ。朴正熙、全斗煥、盧泰愚を経て成長した独裁残存勢力の力は、いまだに強大である。 日本の統治から光復を迎え、李承晩政権が樹立した際、親日派の排除を目的とした反民族行為処罰法特別委員会を組織しても、政治的策略に押され親日派を清算し切れず、わが国の道徳が地に堕ち、いまだに親日派の子孫たちがこの社会の主流でいるのと大同小異である。 しかし、今こそ全斗煥の時代を終える時だ。 なぜならば、この国に少数の幸せではなく多数が幸せになれる社会が作られるべきだから。個人と派閥の利益だけを考える一部の者たちに翻弄されることのない、希望ある国を夢見るべきだから。 過去は未来の鏡である。過去は、いくら隠蔽したところで自動的に清算されるものではない。未来は過去と一体であり、現在を媒介に過去と深くつながっている。いくら我々が前へ進もうとしても、過去のもつれをきちんと解かねば、それはより複雑にからまるばかりで、全ての努力が水の泡となるだろう。 もしくは、こうも言えるかもしれない。いたずらに古傷をほじくり返すことが、国民の和合のためになるのか、未来への課題が山積しているのに、いつまで過去の出来事に執着するのかと、叱りを受けるかもしれない。 だが筆者は、こういった問題の提起は歴史のためにならぬばかりか、真の民主化を望む国民の意思を汲み取れない政治的不感症と、歴史的無知の産物だと考える。過去の政権の不当性や不正蓄財などの非理が自然治癒されることなど、決してあり得ないからである。 問題は、一国の象徴である大統領が、“国民こそが歴史の主人公だと、気づくべき”なのだ。再度、私は誓いたい。罪は憎めど、人は憎むまいと。 私は終始その心構えでドラマを書きあげたい。 また、若い世代が現代史を再考するいい機会になるだろうという、気負わぬ姿勢で[5共和国]をスタートさせたかったし、また、そんな心持でドラマの最後までお付き合いいただければと、願ってやまない。

出演 : イ・ドクファ、イム・ドンジンほか
提供元 : MBC
話数 : 全41話
韓国放送日 : 2005年04月23日
KNTV初放送 : 2005年12月31日

登場人物

イ・ドクファ(全斗煥役)
保安司令官(第11,12代 大統領): 40代後半より60代前半(88年)まで

・ 1931年1月18日生まれ

・1963年 中央情報部 人事課長

・1963年 陸軍本部 人事参謀部

・1966年 第一空輸特戦団 副団長

・1967年 首都警備司令部 第30大隊長

・1969年 陸軍参謀総長室 主席副官

・1970年 第9師団 29連隊長(駐ベトナム白馬部隊)

・1971年 第1空輸特戦団 団長(准将)

・1973年 陸軍准将

・1976年 青瓦台警護室 次長補

・1977年 陸軍少将

・1978年 第1師団長

・1979年 戒厳司令部 合同捜査本部長、12.12事態で政権掌握

・1979~1980年 国軍 保安司令官

・1980年 陸軍中将

・1980~1980年 中央情報部 部長署理

・1980年 国家保衛立法会議 常任委員長

・1980年 陸軍大将

・1980~1981年 第11代 大統領

・1981~1988年 第12代 大統領

・1988~1988年 国家元老諮問会議 議長

キム・ヨンラン(李順子役)
全斗煥前大統領 令夫人:40代前半より 40代後半まで

・ 1939年 3月24日生まれ

ソ・インソク(盧泰愚役
第9師団長(少将):40代後半より 60代前半まで

・1932年 12月4日生まれ

・1956年 歩兵小隊長

・1960年 軍事情報大学 英語翻訳将校

・1961年 防諜部隊 情報将校

・1971年 歩兵連隊長

・1974年 空輸特戦旅団長

・1978年 大統領警護室 作戦次長補

・1979年 首都警備司令官

・1979年 第9師団長

・1980年 保安司令官

・1981年 予備役編入(大将)

・1981年 7月 政務2長官

・1982年 初代体育部 長官

・1982年 南北韓高位会談 首席代表

・1982年 内務部 長官

・1983~1986年 ソウルオリンピック組織委員会(SLOOC)委員長

・1983年 ソウルアジア競技大会 組織委員会(SAGOC)委員長

・1984年 大韓体育会長 兼 大韓オリンピック委員会 委員長

・1985年 第12代 国会議員(全国 民正党)

・1985年 民正党 代表委員

・1987年 民正党 大統領候補

・1987~1990年 民正党 総裁

・1987年 12月 第13代 大統領当選

ソン・ソクスク( キム・オクスク役)
盧泰愚前大統領 令夫人:40代前半より 40代後半まで

イ・ジヌ(ホ・ファピョン役)
保安司令官 秘書室長(大領)陸軍士官学校17期:40代前半より 50代中盤まで

・1937年 10月15日生まれ

・1975年 歩兵第9師団 大隊長、作戦参謀

・1979年 国軍保安司令官 秘書室長

・1980年 陸軍准将 予備役編入

・1980年 青瓦台秘書室 補佐官

・1982年 青瓦台秘書室 政務 第1首席秘書官

・1983年 米 ヘリテージ研究所 主席研究員

・1988年 現代社会研究所 所長

・1992年 第14代 国会議員(無所属 慶北 浦項)

・1996年 第15代 国会議員(無所属 慶北 浦項北)

チャ・グァンス(ホ・サムス役)
保安司令部 人事処長(大領)陸軍士官学校17期:40代前半より 50代中盤まで

・1936年 9月18日生まれ

・1979年 保安司令部 人事処長

・1980年 国家保衛立法委員会 浄化分科委員会 幹事

・1980年 陸軍中将 予備役編入

・1980~1982年 青瓦台秘書室 社政首席秘書官

・1982~1987年 米 スタンフォード大学 フーバー研究所 研究員

・1987年 民正党 国策評価委員

・1990年 民自党 釜山東区 組織責

・1991年 韓国文化研究院 理事長

・1992年 第14代 国会議員(民自 釜山東)

イ・ジェヨン(イ・ハクポン役)
保安司令部 捜査課長(中領)陸軍士官学校18期:40代前半より 50代中盤まで

・1938年 5月15日生まれ(釜山)

・1977年 保安司令部 捜査課長

・1980年 保安司令部 処長

・1980年 陸軍准将 予備役編入

・1980~1986年 青瓦台秘書室 民政首席秘書官

・1986.01~1988.04 安企部 第2次長

・1988年 民正党 国策調停委員会 常任委員

・1988.04~1990 第13代 国会議員(民正 金海)

・1990~1992.02 民自党 国会議員

ホン・ハクピョ(チャン・セドン役)
首都警備司令部 30警備団長(大領)、陸軍士官学校16期:40代前半より 50代中盤まで

・1936年 9月27日生まれ

・1967年 首都警備司令部 30警備大隊 作戦将校

・1977年 同 30警備団長

・1980年 3空輸特戦旅団長

・1981~1985年 大統領警護室長

・1984年 予備役編入(中将

・1985~1987年 国家安全企画部長

イ・ヒド(ホ・ムンド役)
駐日大使館 広報官:30代後半より 40代後半まで

・1940年 2月26日生まれ

・1964年 ソウル大学卒業

・1964年 朝鮮日報 記者

・1974年 朝鮮日報 東京特派員

・1979年 朝鮮日報 外信部 次長

・1979年 駐日大使館 広報官

・1980年 中央情報部 部長秘書室長

・1980年 国家保衛立法会議 文化広報分科委員

・1980年 大統領秘書室 政務第1秘書官

・1982.01~1984.10 第7代 文化広報部次官

・1984~1986.08 大統領秘書室 政務第1主席秘書官

・1986.08~1988.02 第13代 国土統一院 長官

チョン・ハンホン(クォン・ジョンダル役)
中央情報部長:50代中盤

・1926年 3月6日生まれ/1980年 5月24日 没

・1973年 第9代 国会議員

・1974年 第13代 建設部長官

・1976年 第8代 中央情報部長

・1979年 10月26日 朴正熙大統領 殺害

・1980年 5月24日 ソウル拘置所にて絞首刑

チョン・ホグン(チャ・ジチョル役)
大統領(朴正熙)警護室長:40代中盤

・1934年 11月16日生まれ/1979年10月26日 没

・1963年 第6代 国会議員(共和 驪州 光州 利川)

・1967年 第7代 国会議員(共和 光州 利川)

・1971年 第8代 国会議員(共和 光州 利川)

・1973年 第9代 国会議員(共和 驪州 光州 利川)

・1974年 第3代 大統領警護室長

・1979年 10月26日 中央情報部長 金載圭によって殺害

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